2012年6月7日木曜日

全日本少年春季大会






















ベースボールマガジン社から発刊されている7月号に3月の全国大会の結果や特集記事が出ています。記念に1冊購入しては?

チーム写真、登録選手の名も記載されてます。

記事を読んでいくとあの頃の思い出が甦ります。

P43には中学校の記事も出ています。先生の陰に隠れて私も少し…

〝探究〟野球道を考える 第2回

コーチの役割、親の使命   桑田真澄氏

 

あくまで脇役、伴走者。

石拾いしたことありますか?


 連載二回目は、アマチュア野球に参画する大人の役割について考えてみたいと思います。
 もし自分の子どもが野球チームに入っているとしたら、みなさんはこんな指導者をどう思いますか。また自分の立場を野球少年(少女) に置きかえた時、こんな親をどう思いますか。

 長時間練習が当たり前、練習内容が非科学的、非合理的、技術指導が抽象的で自己流、指導や起用法を好き嫌いで決める、結果論だけで選手を評価する、怒鳴る、言葉と肉体的な暴力を振るう、選手の故障や事故の予防に配慮しない、選手に勉強や遊びの時間を与えない、よりよい指導理論を学ぶ学習意欲に欠ける…。

 さらに親に関して付け加えるなら、勝手に指導する、チームの起用法に口を出す、親同士で見栄を張る、派閥を作る、子どもの前で他人の批判をする…。

 前回もお話ししたとおり、僕の子ども時代に比べると、随分と改善されているように見えます。しかしながら、「コーチ=若い選手に対して一方的に指導する存在」という固定概念凝り固まっている大人が今でもたくさんいます。さらに、チームワークを逸脱した価値観を振りかざす親も格段に増えています。

 僕は指導者も親も含めて、アマチュア野球に関わるあらゆる人たちに「コーチ」の本来の役割を再確認してほしいと思っています。(ここでは指導者も親も、アマチュア選手を支える「コーチ」としてひとくくりで議論を進めます)。それではコーチとはそもそもどんな存在であるべきなのか、その語源から確認しましょう。

 コーチの語源は中世ヨーロッパにさかのぼります。当時はハンガリーのコチという町で四輪馬車が盛んに作られていました。そこから次第に言葉の意味が変化して、今では「乗り手(主役)を目的地まで安全に送り届ける人(御者)」=Coachとなっています。

 アマチュア野球における主役とは無限の可能性を秘めた若い選手たちです。そしてコーチ(指導者・親)は、彼らが目的地へたどり着けるようにサポートする脇役、つまり伴走者に過ぎません。

 僕はメジャーリーグでプレーしていた際、アメリカのアマチュア野球ではどんな指導が行われているのか自分の目で確かめるため、休日に学校やグランドを車から見て回っていました。そこで再確認できたのは若い選手たちが主体的に野球を楽しみ、指導者や親は一歩後ろから選手の成長を支える姿でした。アメリカのやり方がすべて正しいとは思いませんが、そこには「コーチング」の原点が、アマチュア野球の現場にはっきりと根付いているように思えました。

 僕自身はアマチュア野球のコーチの心構えとして、次の3つが大切だと考えています。

 

①選手が育つ環境の整備

野球選手の競技力は20代半ばにピークを迎えます。したがって運動能力が高く、プロに行ける可能性が高い選手ほど、10代のアマチュア時代に大切なのは怪我や故障を防ぐことだといえます。

 アマチュア野球界のコーチが、選手のコンディションを維持するためにできることはたくさんあります。まずはいつも使うグランドの石をみんなで拾うこと。日本ではグランド整備は教育の一環で若い選手にやらせる風潮があります。でもグランド整備の目的は捻挫やイレギュラー、スライディングによって生じる余計な怪我を防ぐことにあります。したがって、指導者や親も含めてチーム全員で一斉に取りかかるのが効果的です。ちなみに麻布ジャイアンツでは僕も含め全員で石拾いや草むしりをしています。

 突発的な事故に対応するためには、怪我や熱射病の対応について事前に勉強する必要があります。また身体面のみならず若い選手の考える力を養うという面からみると、勉強や遊びの時間を確保する余裕も必要です。「勉強しなさい」とか「頭を使って行動しなさいと」と声を荒げる大人はたくさんいますが、選手が育つ場をつくるために大切なのはコーチ自身が常に新しい知識を吸収して、それをチームで実践することだと思います。

②スポーツを楽しむ雰囲気作り

スポーツの魅力のひとつに「勝つ喜び」があります。僕自身も大舞台で勝つ喜びは何度も味わっていますし、それによって人生そのものが大きく変わったと実感しています。
 

 でも長年、弱肉強食のプロの世界でプレーしてきたからこそ、スポーツの本当の魅力は勝つ負けを超えたところにあると僕は確信しています。若い選手は今日の試合に勝とうが負けようが、その先にはそれぞれの長い人生が待っています。したがって、重要なのは目先の勝敗よりも、ゲーム(あるいはライバル競争)に勝つためにその選手が何を考え、どのように行動したかということになります。選手の立場に立って考えると、こうしたプロセスを通じて考える力や主体的な行動力を養う点にこそスポーツの楽しみがあるのです。

 とはいっても若い選手のやることですから、時には失敗したり試行錯誤を繰り返すこともあるでしょう。上手な選手ほど独りよがりになって自分の責任をチームメイトに転嫁するかもしれません。そんな時に必要なのが人生経験豊富なコーチの力です。その時の状況や選手の個性に応じて声をかけたり、時には突き放して遠くからそっと見守る。あるいはチームメイトを思いやる大切さを説くことで、余計なプレッシャーを取り除く。コーチがこうした心配りをするからこそ、正念場で力を発揮できる優れた選手が育つのです。

③スポーツマンシップの手本を示す

選手宣誓で「スポーツマン精神に則り」という言葉をよく聞きます。スポーツマンシップという英語を日本語で定義するのはとても難しいのですが、僕は「リスペクト=尊重」と解釈しています。実は日本野球界で最も足りないのが、このリスペクト精神です。戦後の日本野球界は旧日本軍の悪弊を継承した結果、指導者→選手、先輩→後輩という一方的な服従関係が重んじられてきました。また、「勝つためには何をしてもよい」という意識で審判を軽視したり、「自分たちは野球選手」という優越感から社会的マナーを逸脱する行動も続いてきました。

 しかし若いスポーツ選手が社会に出て時に最も期待されるのは、このスポーツマンシップの精神なのです。誰に対しても礼儀正しい、他人に迷惑をかけないといったリスペクトの精神を実践できるからこそ、スポーツ選手は周囲の人たちから尊敬されるのです。若い選手がこうした資質を身につけるために必要なこと。それはコーチ自身が自分と他人、そしてルールを尊重することにほかなりません。

 ここまで見てきたとおり、アマチュア野球界におけるコーチの役割は勝つことや技術指導にとどまりません。若い選手の主体的な行動力、チームワーク、失敗から起き上がるチャレンジ精神を育むことこそ、コーチの語源に基づいた使命なのです。
 

 こうした理念を実践するためにも、コーチの方々には選手に対して一方的に命令するのではなくコーチと選手、そして選手同士が互いにリスペクトしながら成長する「教育=共育」の価値観を共有してほしいと思います。

2012年6月4日月曜日

運動会

日曜日雲一つない晴天に恵まれて中学校の運動会がありました。



100m走では得意でない子供達も一生懸命走ってました。
その姿に怒声や罵声はありません。

最後まで諦めない姿を見ると心の中で応援したくなります。
そういう風に見れるようになりました。

野球部の選手限定で100m走を撮りました。
今度機会をつくって自分の走りを確認しましょう。

もちろん個人的に映像を欲しい人も受け付けますが…



綱引きも大変盛り上がりました。

大綱跳びはクラスの輪が一つになっていないと難しい競技です。
練習の成果は出せたかな

ひとつ気になったことは一部の生徒に「聞く力」がないことです。
来賓、校長先生の挨拶の時、少し言葉を噛んだだけで失笑する。
じゃ笑う人はそれだけ人前でしっかり話せるのか
小さいことにも敏感な時期だとは思いますが、聞く態度を正さなければなりません。

何はともあれケガなく充実感のあった運動だったと思います。

皆さんお疲れ様でした。

テスト勉強頑張れ!!