武士道精神を転換し、スポーツマンシップへ
第四回目は、コーチのみなさんが若い選手を育成する時に必要な指導理念について、書きたいと思います。
これまでお伝えしてきたとおり、僕は少年時代から「精神野球」「根性野球」と呼ばれる価値観の中で野球をしてきました。指導者や先輩からの体罰は当たり前だったし、チームメイトがエラーした時には連帯責任を取らされました。高校時代は予選から甲子園大会まで連投が続きましたし、プロに入ってからもコーチと異なる意見を言ったら露骨に嫌な顔をされました。
プロ野球生活の最後の2年間はアメリカでプレーする幸運に恵まれました。僕は少年野球の頃から猛練習の世界で育ち、その価値観に反発しながら生きてきました。ですからアメリカの野球には大きな期待と憧れを抱いて春季キャンプに臨みました。ところがパイレーツの施設で数週間キャンプを過ごした時、僕の心の中でそれまでにない新たな価値観が芽生えました。それは「日本とアメリカの野球のどちらにも長所と短所がある」ということです。
アメリカの野球の魅力は、何といっても体格に恵まれた選手たちがシンプルにパワーをぶつけ合う姿にあります。ファンの人たちもホームランや剛速球を楽しみに球場へ足を運びます。その反面、野球を通じての(あるいは「仕事を通じて」と言い換えることができるかもしれません)人間性を磨こうとする選手はほとんどいません。打てなければ平気でバットを折りゴミ箱に捨ててしまうし、中にはグラブを蹴飛ばして遊ぶ選手や座布団にしてグランドでおしゃべりをしている選手もいました。
アメリカに行くまでの僕は「日本野球界に蔓延している根性野球は直さなければ」と一方的に思い込んでいました。ところがアメリカの野球の表と裏を目のあたりにしたことで、日本の野球ならではの長所に気づくことができたのです。すなわち、日本人選手の小技や連係プレーが世界一のれべるだったり、挨拶や道具を大切にすることは素晴らしい。そして、その価値観は少年野球の頃から「野球道」の一環として教育されているという現実です。
もちろん、根性野球の代償として長時間練習で若い選手が故障したり、絶対服従を強いられて思考停止陥ってしまうのは重大な問題です。しかし、日本の野球界の長所や短所が同じ価値観に端を発している以上、短所を直そうとしたら肝心の長所まで打ち消されてしまうのでしょう。
そこで、23年間の現役生活を終えて「野球界に恩返しをしたい」と思った時、僕は「日本の野球界の伝統である『野球道』について勉強しよう」「現在野球を取り巻く環境に合わせて『野球道』を再定義しよう」と決意しました。
引退後、入学した早稲田大学大学院では、当初から試行錯誤の連続でしたが(首や背中など現役時代とは全く違う部位が筋肉痛になりました)、先生方やクラスメイト、そして現役時代の仲間や野球界の後輩たちがアンケート調査に協力してくれたおかげで、無事に修士論文を提出することができました。ここでその論文の一部を抜粋して、僕が考える日本の野球界のあるべき指導理念についてお伝えしたいと思います。
戦後の日本の野球界は「武士道精神」のもとで、「練習量の重視」「精神の鍛練」「絶対服従」という価値観が普及しました。この価値観を提唱したのは早大野球部監督を飛田穂洲先生です。飛田先生は監督を引退して評論活動をしていた戦時中、統制を強める政府や軍部から野球を守るために「野球は強い兵隊を養成するのに有効である」という理論を唱えました。(実際には、監督時代の飛田先生は練習と勉強のバランスを図るなど、合理的な野球部運営を実践していました。)ところが、終戦後に兵役から戻った人材が指導者、先輩選手、審判などの立場で旧日本軍の悪弊を持ち込んだ結果、戦後になっても野球界では「武士道精神」が助長されました(飛田先生の真意とは異なるという見解から、僕は「誤解された野球道」と呼んでいます)。
それに対して、僕は現在の野球界を取り巻く環境に合う指導理念を次のように考えています。
若い世代に受け入れられるよう、「武士道精神」は「スポーツマンシップ」としたうえで「練習量
の重視」を「サイエンス」、「精神の鍛練」を「バランス」、「絶対服従」を「リスペクト」という価値観に置きかえます。
「サイエンス」とはスポーツ医科学の知見を活かして、若い選手の競技力が向上するよう合理的な考え方で野球に取り組む姿勢を意味します。コーチのみなさんには練習中の水分補給や投球後のアイシングにとどまらず、人間工学に基づいた投球フォーム、人間の集中力に合わせた練習時間、さらには温暖化に対応して熱中症や脱水症状の応急処置も学んでほしいと思います。
「バランス」とは優れた野球選手を育成するために、相反する二つの価値観を状況に合わせて判断する感性を意味します。練習・栄養補給・休息のバランス、野球・勉強・遊びのバランス、リーダーシップと個人の能力、集中と俯瞰、闘争心と相手の観察など、正念場で結果を出せるチームを作るためには選手一人ひとりが自立し、主体的に行動する能力が求められます。こうした力を養うためには、コーチのみなさんは一方的な指導をするのではなく、たとえ失敗することがあっても若い選手が自分で考え、行動し、その結果を次に生かす機会を与えてほしいと思います。
「リスペクト」とは他人と自分を尊重する価値観を意味します。勝者と敗者がはっきり分かれるスポーツだからこそ、若い選手には相手チーム、審判、観客、コーチ、チームメイト、そして自分自身を尊重する態度を身につけてほしいと思います。
こうした考え方が日本全国の指導の現場ですぐに根付くとは思っていません。先月行われたロンドン五輪でも無気力試合、相手国を侮辱する行為、メダルを獲得しても喜べない選手がいたように、頂点を目指すようなレベルの選手ですらスポーツマンシップを発揮するのは難しいことなのです。しかしながら、若い選手たちの無限の可能性を引き出すという役割を担っているコーチのみなさんだからこそ、目先の勝敗の向こうにある高い目標にチャレンジしていただきたいと願っています。
野球が五輪種目から外され、なでしこジャパンの活躍もあってサッカー人気が凄かったですね。
野球人として、危機感を抱いているのは僕だけでしょうか…。
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