野球だけやってうまくなれるのか 桑田真澄氏
僕は現役生活を引退して以来、アマチュア野球の実態を把握しようと少年野球から社会人野球、さらには独立リーグや女子野球のグラウンドに足を運び、実情を自分の目で見てきました。そして、各連盟の関係者や指導者の方々にお会いして、現場の意見を直接お聞きしてきました。
こうした活動の中で「アマチュア野球の指導者は確実に変わろうとしている」と感じる反面、「最後の最後、大事なところで変わり切れていない」と感じるのも事実です。
僕がアマチュア選手だった時代には、タバコを吸いながら、真っ昼間からお酒を飲んで子どもたちにに指導したり、選手を怒鳴り散らしたり、体罰を与えたりしている指導者が山ほどいました。さすがに現在では、そのような指導者は少なくなっているように思います。それでもまだ「指導者=子どもや親に命令するのが当たり前」といったマインドで、一日中折りたたみ椅子にふんぞり返って座っている指導者が存在します。
確かにせっかくの休日で朝から晩まで子どもたちの指導を続けるのは素晴らしい情熱です。しかしそうした情熱は、時に大人の日ごろのストレス解消のはけ口になっている場合があります。練習中、罵声や体罰を繰り返す指導者は、そこに気がついていないのではないでしょうか。
また、罵声も体罰も与えていない一見、立派な指導者の中にも、子どもたちにパワーハラスメントまがいのプレッシャーを与えている場合が見受けられます。
それは勝利至上主義です。
「野球は勝ち負けがすべて」「野球は勝たなければ面白くない」「選手は勝つことで初めて喜びを得られる」といった方針から、週末に朝から晩まで練習をするチームがいくつもあります。一日に3試合も4試合も練習試合を組んだり、平日も自主練習と称して子どもたちを集めたりするチームもあります。
確かに、他のチームよりたくさん練習すれば、いままでよりも勝つ確率が少しは上がるかもしれません。しかし、アマチュア時代の子どもは野球以外にも大切な使命をたくさん背負っています。子どもたちが将来、人間的魅力にあふれた大人に成長するためには勉強も大事、家族と過ごす時間も大事、友だちと遊ぶ時間も大事です。それに、野球というスポーツは単に身体能力と技術だけの勝負ではありません。勝負を分ける正念場では、合理的に考える習慣もチームメイトを思いやる力も試されます、つまり野球がうまくなるためには野球だけをやっていてはダメなのです。
ここで、みなさんが野球少年だった時代に立ち返って考えてみて下さい。
そもそも、子どもたちが野球をやる目的は何でしょうか。彼らの中には、プロ野球選手になりたいと心から願う子どももいれば、楽しいから野球をやりたいと思って始めただけの子どももいます。
それなのに、人より素質があって大人から大きな期待をかけられた子どもの中には、小中学生時代からオーバーワークで故障を繰り返し、肩やヒジに致命傷を負うケースがあります。また毎日、長時間練習を課された結果、勉強の時間が取れなかったり、日常生活に余裕がなくなったりするケースもあります。
つまり、最初は好きで始めたはずの野球が子どもの可能性を次々と奪っているのです。そんな子どもたちは野球が大好きでいられるでしょうか。またそんな指導者を尊敬するでしょうか。僕は、せっかく野球の世界に足を踏み入れた子どもたちに野球を嫌いになって欲しくないと思っています。また、野球が様々な個性をもった人たちを結びつける絆になるとよいと願っています。
アマチュア野球界の使命は、単にプロ野球選手に育成することではありません。トレーナーやドクター、メディア、スポンサー、ファンそして親など将来様々な立場から未来の野球界を支える人材を幅広く輩出することにあるのです。これが人気低下に悩む日本の野球界に必要な「人材育成」の理念です。「それでは アマチュア野球は勝たなくてもいいのか」とよく訊かれます。
そうではありません。「勝利も育成も両方大事」です。
勝ちながら育てる、育てながら勝つ。一見相反する価値観をバランスよく舵取りするからこそ、「優れた指導者」として評価されるのです。
戦後の日本社会は、ひたむきに努力していれば報われる時代でした。
野球界も同じように簡単な世界でした。指導者は一方的に命令をして、時には殴ったり罵声を浴びせたりしていれば教えた気になれました。
しかし、今はそういう時代ではないのです。これからの日本社会は何が正解かわからない中で、一人ひとりが目標設定をしながら試行錯誤する時代です。
野球界もここ一番で力を発揮する自立した選手を育てなければ、社会で存在義を発揮できなくなる時代です。だからこそ、従来の価値観の長所を継承しつつ、時代の変化にあわせて課題を解決していきたい。