2012年8月29日水曜日
再確認
先日のベースボールキャンプ…
新しい取り組みや変わらない継続、違った視点と今年も勉強になりました。
野球を通じて息子の成長も多々見られました。
小さい子の面倒、同年代との交流、野球に対する取り組み
これからの人生多いに役立つでしょう♪
高い授業料でしたが親子で充実した日々を過ごしました。
最近は学んだ事を復習しお互い技術を高め合っています。
また指導者としては学んだ事を広く普及する必要があると感じています。
ウォーミングアップ、スローイング、バッティング、ディフェンス、そして野球を通じて人間形成の確立や環境の向上。
形はどういう風になるか分かりませんが北海道のこの地から何かかしら発信出来たら。
チームに関係なく個人的に相談も乗りたいし、また将来同じ共感を持てる人と自分のチームを持ってみたいな。
2012年8月20日月曜日
〝探究〟野球道を考える 第3回
アマチュア野球のコーチへ提案 桑田真澄氏
連載三回目は、野球選手がより良い成果をあげるための練習方法についてお話したいと思います。
今回お伝えしたいのは、「たとえ24時間やみくもに野球の練習をしても決して上手にならない」ということです。コーチの皆さんが普段仕事をしている場面でも、とにかく頑張っているけど結果が出ない人、周りから「あいつは要領が悪い」と言われる人、そのうえ悪循環に陥ってモティベーションが下がっている人はいませんか。これは客観的にみて、努力の方法がずれているということですよね。つまり、結果を出すためには努力の「質」が問われるというのは、仕事もスポーツも共通しているのです。
ここで僕自身の野球経験を振り返ってみましょう。小学校時代、僕は昔ながらの根性野球を強いられました。放課後は毎日練習、日曜日は一日中練習させられました。いまの時代と違って、練習中に水分を摂らせてもらえなかった時代です。そのうえ、上級生からのいじめ、コーチの体罰、チームメイトがエラーした時の連帯責任もありました。好きな野球で嫌な思いをするストレスから、小学校時代の僕は学校で荒れていました。その度に僕は先生から叱られ、母は何度も学校に呼び出されました。いま思うと、僕の野球人生は我ながら暗くすさんだスタートだったと思います。
僕の考え方が大きく変わったのは、ある事がきっかけでした。小学6年生の時、練習中に雨が降ってきたのでグラウンド横の倉庫で雨宿り休憩していると、高校野球を放送していたラジオから「逆転のPL!」という実況が聞こえてきました。僕は初めてPL学園という高校があることを知りましたが、なぜかその時に「PL学園に行きたい」と思ってしまった。そしてその日の夜、父からPLは自宅からそう遠くないところにある野球の強豪校であることを教えられました。ちょうどその頃、まったく勉強しない僕に業を煮やした母から「いい加減勉強しなさい」と説教を受けました。仕方なく僕は「中学に行ったら勉強する」と啖呵を切りました。
親子喧嘩の成り行きとはいえ、子どもなりのプライドがあります。中学に入学した僕は毎日寝ないで授業を受け、先生の話をにノートに取るようになりました。試験前にはノートを見なおして、どんな問題がテストに出るか考えるようにしました。皆さんからしたら当たり前のことかもしれませんが、驚くべきにこうした些細な努力で学校の成績はみるみる上がりました(もともとのスタート地点が低かったので当然の結果でもあるのですが)。それまで全てにおいて反抗的な態度を取っていた僕は、人生で初めて「努力する大切さを」を知りました。祖母から『都の西北』を子守唄に育てられたこともあって、僕は「PL学園高校、早稲田大学に行って、プロ野球でエースになる」という目標を立てました。
PL学園入学後も、僕の野球人生は決して順調ではありませんでした。清原君を筆頭にプロ野球選手のような体格と実力を持った選手に囲まれて、僕は「小さい」というコンプレックスを感じました。体重は減り、競技力も低下して僕はすっかり自信を無くしました。母に「野球部を辞めたい」と漏らしたこともありましたが、「絶対に諦めたらダメよ」と言われたことで「自分なりの努力を貫こう」意を決しました。
決して身体が大きくない僕が、体格も体力も優れた選手と同じことをしていても勝ち目はありません。そこで練習は「超効率的努力」を実践することにしました。毎日欠かさず続ける個人練習は、50回のシャドウピッチングと50本の素振りだけ。心身の調子が良い日はピッチングやランニングの量を増やしましたが、体調が落ちていると感じた日は思い切って練習量を落としたり、「積極的休息」に充てました。高1の夏に甲子園で優勝してからは、全体練習の時間も減らすよう監督に提案しました。(平日は3時間、土日は半日へ)。
授業中は絶対に寝ないでノートを取る習慣も続けました。先生が「ここはテストに出るかも」と示唆したポイントは、教科書に印をつけました。ただ漠然と授業を聞くのではなく、先生が授業の中で何をポイントとして話したいのか先読みする姿勢は、後に3時間の試合でヤマ場を乗り切るピッチングと共通していることを学びました。
もうひとつ、僕が高校3年間大切にしたのが「裏の努力」です。「裏の努力」とは、野球以外の努力のことです。毎日決められた起床時間の15分前に起きて、晴れた日は草むしり、雨の日はトイレ掃除を続けました。もちろん裏の努力をしたからといって野球がうまくなるわけではありません。でも野球の練習を頑張るだけなら、よその学校の選手もしているはずです。僕は、裏の努力は「運とツキを貯金してくれる」と信じて3年間、コツコツと小さな努力を積み重ねました。
繰り返しになりますが、僕は野球選手としては身体が小さいです。それでも甲子園で20勝、プロ野球で173勝をあげることができたのはいくつかの理由があると思います。
まずは身体的な素質以上に、努力を重ねるという才能があったことです。中学校に入学した時に勉強を通じて努力する楽しさに気づけたことが、「努力する楽しさ」を知るきっかけとなりました。
つぎに、早い時期から己を知っていたことです。「甲子園で活躍した投手はプロで大成しない」というジンクスもありますが、僕の場合は自分の体力的な限界を把握していて、オーバーワークになる前に休養を取っていたことが大きかったと思います。実際、僕は高校時代とプロ野球時代を通じて自分より大きな体格や実力に恵まれた投手にたくさん出会ってきました。ところが、そうした選手のほとんどはコーチに大きな期待をかけられる余り、投げ込みや走り込み、故障中の登板で肘や肩や腰を壊し、僕よりはるかに早い段階で引退を余儀なくされました。
そして3つ目は、学生時代から野球以外の物事にも関心を持っていたことです。中学時代からコツコツ勉強していたことで、プロの入ってからも運動生理学や栄養学の本を読んだり、アイシングや水泳など最新のトレーニング理論を採り入れることができました。そして何より、パイレーツと契約して、アメリカでGM、首脳陣、トレーナー、選手など様々な立場の人たちと楽しく交流することができました。
こうした経験を踏まえて、アマチュア野球のコーチの皆さんへいくつか提案をしたいと思います。
第一にコーチ自身が日々の生活で「努力する人生」を実践すること。平日に仕事をして、休日に野球の指導をするのは大変な事だと思います。でも、せっかく素晴らしいことをしているのに一日中椅子に座って選手に命令したり、保護者に食べ物や飲み物を持って来させるコーチが未だにいるのは残念でなりません。コーチとはその語源の通り「選手をゴールに導く伴走者」なのですから、グラウンドでも「努力する楽しさ」を若い選手に示すことで主体的に努力できる選手を一人でも増やしてほしいと思います。
第二に、練習の「質」をあげること。若い選手が努力すること自体は大切なことですし、その後の人生にも役立つと思います。でも選手は自分で「ヤル気スイッチ」を入れない限り、決してモティベーションは上がりません。また、成長期にオーバーワークで故障してしまうと、若い選手の野球人生は寿命を迎えてしまいます。だからこそ、コーチの皆さんには最先端のスポーツ医科学を定期的に勉強して、選手の競技力を高める合理的なコーチングスキルを高めて欲しいと思います。
第三に、野球、勉強、遊びのバランスに気づいてもらうこと。将来たとえ一握りのプロ野球選手になることができたとしても、自分の生活を守るためには運動生理学から会計、法律まで幅広く知識をもっておく必要があります。また遊びを通じて相手の気持ちに気づく力が、グラウンド内外で問われます。ましてプロ野球選手の夢を断念して一般の社会人になるのなら。若い時に野球だけ頑張るのは大いなる機会の損失だと思います。
僕は若い選手に対して「グラウンドではボールに食らいつけ」と言ってます。同じように、学校では「勉強に食らいつけ、いずれ社会に出るときには人生にくらいつけ」とも言っています。
コーチの皆さんには若い選手のチャレンジ精神を上手に引き出して欲しいし、彼らの夢が叶うよう努力の「質」も高めて欲しいと思っています。
自らも努力し、最先端を学ぶ。
若人たちを一色で染めない
連載三回目は、野球選手がより良い成果をあげるための練習方法についてお話したいと思います。
今回お伝えしたいのは、「たとえ24時間やみくもに野球の練習をしても決して上手にならない」ということです。コーチの皆さんが普段仕事をしている場面でも、とにかく頑張っているけど結果が出ない人、周りから「あいつは要領が悪い」と言われる人、そのうえ悪循環に陥ってモティベーションが下がっている人はいませんか。これは客観的にみて、努力の方法がずれているということですよね。つまり、結果を出すためには努力の「質」が問われるというのは、仕事もスポーツも共通しているのです。
ここで僕自身の野球経験を振り返ってみましょう。小学校時代、僕は昔ながらの根性野球を強いられました。放課後は毎日練習、日曜日は一日中練習させられました。いまの時代と違って、練習中に水分を摂らせてもらえなかった時代です。そのうえ、上級生からのいじめ、コーチの体罰、チームメイトがエラーした時の連帯責任もありました。好きな野球で嫌な思いをするストレスから、小学校時代の僕は学校で荒れていました。その度に僕は先生から叱られ、母は何度も学校に呼び出されました。いま思うと、僕の野球人生は我ながら暗くすさんだスタートだったと思います。
僕の考え方が大きく変わったのは、ある事がきっかけでした。小学6年生の時、練習中に雨が降ってきたのでグラウンド横の倉庫で雨宿り休憩していると、高校野球を放送していたラジオから「逆転のPL!」という実況が聞こえてきました。僕は初めてPL学園という高校があることを知りましたが、なぜかその時に「PL学園に行きたい」と思ってしまった。そしてその日の夜、父からPLは自宅からそう遠くないところにある野球の強豪校であることを教えられました。ちょうどその頃、まったく勉強しない僕に業を煮やした母から「いい加減勉強しなさい」と説教を受けました。仕方なく僕は「中学に行ったら勉強する」と啖呵を切りました。
親子喧嘩の成り行きとはいえ、子どもなりのプライドがあります。中学に入学した僕は毎日寝ないで授業を受け、先生の話をにノートに取るようになりました。試験前にはノートを見なおして、どんな問題がテストに出るか考えるようにしました。皆さんからしたら当たり前のことかもしれませんが、驚くべきにこうした些細な努力で学校の成績はみるみる上がりました(もともとのスタート地点が低かったので当然の結果でもあるのですが)。それまで全てにおいて反抗的な態度を取っていた僕は、人生で初めて「努力する大切さを」を知りました。祖母から『都の西北』を子守唄に育てられたこともあって、僕は「PL学園高校、早稲田大学に行って、プロ野球でエースになる」という目標を立てました。
PL学園入学後も、僕の野球人生は決して順調ではありませんでした。清原君を筆頭にプロ野球選手のような体格と実力を持った選手に囲まれて、僕は「小さい」というコンプレックスを感じました。体重は減り、競技力も低下して僕はすっかり自信を無くしました。母に「野球部を辞めたい」と漏らしたこともありましたが、「絶対に諦めたらダメよ」と言われたことで「自分なりの努力を貫こう」意を決しました。
決して身体が大きくない僕が、体格も体力も優れた選手と同じことをしていても勝ち目はありません。そこで練習は「超効率的努力」を実践することにしました。毎日欠かさず続ける個人練習は、50回のシャドウピッチングと50本の素振りだけ。心身の調子が良い日はピッチングやランニングの量を増やしましたが、体調が落ちていると感じた日は思い切って練習量を落としたり、「積極的休息」に充てました。高1の夏に甲子園で優勝してからは、全体練習の時間も減らすよう監督に提案しました。(平日は3時間、土日は半日へ)。
授業中は絶対に寝ないでノートを取る習慣も続けました。先生が「ここはテストに出るかも」と示唆したポイントは、教科書に印をつけました。ただ漠然と授業を聞くのではなく、先生が授業の中で何をポイントとして話したいのか先読みする姿勢は、後に3時間の試合でヤマ場を乗り切るピッチングと共通していることを学びました。
もうひとつ、僕が高校3年間大切にしたのが「裏の努力」です。「裏の努力」とは、野球以外の努力のことです。毎日決められた起床時間の15分前に起きて、晴れた日は草むしり、雨の日はトイレ掃除を続けました。もちろん裏の努力をしたからといって野球がうまくなるわけではありません。でも野球の練習を頑張るだけなら、よその学校の選手もしているはずです。僕は、裏の努力は「運とツキを貯金してくれる」と信じて3年間、コツコツと小さな努力を積み重ねました。
繰り返しになりますが、僕は野球選手としては身体が小さいです。それでも甲子園で20勝、プロ野球で173勝をあげることができたのはいくつかの理由があると思います。
まずは身体的な素質以上に、努力を重ねるという才能があったことです。中学校に入学した時に勉強を通じて努力する楽しさに気づけたことが、「努力する楽しさ」を知るきっかけとなりました。
つぎに、早い時期から己を知っていたことです。「甲子園で活躍した投手はプロで大成しない」というジンクスもありますが、僕の場合は自分の体力的な限界を把握していて、オーバーワークになる前に休養を取っていたことが大きかったと思います。実際、僕は高校時代とプロ野球時代を通じて自分より大きな体格や実力に恵まれた投手にたくさん出会ってきました。ところが、そうした選手のほとんどはコーチに大きな期待をかけられる余り、投げ込みや走り込み、故障中の登板で肘や肩や腰を壊し、僕よりはるかに早い段階で引退を余儀なくされました。
そして3つ目は、学生時代から野球以外の物事にも関心を持っていたことです。中学時代からコツコツ勉強していたことで、プロの入ってからも運動生理学や栄養学の本を読んだり、アイシングや水泳など最新のトレーニング理論を採り入れることができました。そして何より、パイレーツと契約して、アメリカでGM、首脳陣、トレーナー、選手など様々な立場の人たちと楽しく交流することができました。
こうした経験を踏まえて、アマチュア野球のコーチの皆さんへいくつか提案をしたいと思います。
第一にコーチ自身が日々の生活で「努力する人生」を実践すること。平日に仕事をして、休日に野球の指導をするのは大変な事だと思います。でも、せっかく素晴らしいことをしているのに一日中椅子に座って選手に命令したり、保護者に食べ物や飲み物を持って来させるコーチが未だにいるのは残念でなりません。コーチとはその語源の通り「選手をゴールに導く伴走者」なのですから、グラウンドでも「努力する楽しさ」を若い選手に示すことで主体的に努力できる選手を一人でも増やしてほしいと思います。
第二に、練習の「質」をあげること。若い選手が努力すること自体は大切なことですし、その後の人生にも役立つと思います。でも選手は自分で「ヤル気スイッチ」を入れない限り、決してモティベーションは上がりません。また、成長期にオーバーワークで故障してしまうと、若い選手の野球人生は寿命を迎えてしまいます。だからこそ、コーチの皆さんには最先端のスポーツ医科学を定期的に勉強して、選手の競技力を高める合理的なコーチングスキルを高めて欲しいと思います。
第三に、野球、勉強、遊びのバランスに気づいてもらうこと。将来たとえ一握りのプロ野球選手になることができたとしても、自分の生活を守るためには運動生理学から会計、法律まで幅広く知識をもっておく必要があります。また遊びを通じて相手の気持ちに気づく力が、グラウンド内外で問われます。ましてプロ野球選手の夢を断念して一般の社会人になるのなら。若い時に野球だけ頑張るのは大いなる機会の損失だと思います。
僕は若い選手に対して「グラウンドではボールに食らいつけ」と言ってます。同じように、学校では「勉強に食らいつけ、いずれ社会に出るときには人生にくらいつけ」とも言っています。
コーチの皆さんには若い選手のチャレンジ精神を上手に引き出して欲しいし、彼らの夢が叶うよう努力の「質」も高めて欲しいと思っています。
2012年8月15日水曜日
2012年8月14日火曜日
ベースボールキャンプ7
楽しかったベースボールも今日で終わりました
本当に充実した3日間でした
息子の成長を感じました
今回たくさん学んで変化が出てきたフォームを継続させなくてはなりません
表現出来なかった事もありますが自分も一緒に復習したいと思いますしチームにもフィードバックしなくてはなりません
今からうちの選手に変化が出て来るのが楽しみです
本当に充実した3日間でした
息子の成長を感じました
今回たくさん学んで変化が出てきたフォームを継続させなくてはなりません
表現出来なかった事もありますが自分も一緒に復習したいと思いますしチームにもフィードバックしなくてはなりません
今からうちの選手に変化が出て来るのが楽しみです
2012年8月13日月曜日
2012年8月12日日曜日
ベースボールキャンプ4
昨日の試合、スポーツニュースでは映りませんでしたが守備で両チームのセンターが良いプレーを見せてくれました
陽選手のランニングキャッチ、秋山選手のダイビングキャッチ
大変盛り上がりました
守備位置、スタートの構え、1歩目の速さ、安定した走りとボールの追い方、グローブのハンドリング、捕球後の送球等
見る視点を変えると野球が楽しくなりますね
勉強になりました
陽選手のランニングキャッチ、秋山選手のダイビングキャッチ
大変盛り上がりました
守備位置、スタートの構え、1歩目の速さ、安定した走りとボールの追い方、グローブのハンドリング、捕球後の送球等
見る視点を変えると野球が楽しくなりますね
勉強になりました
2012年8月11日土曜日
2012年8月10日金曜日
2012ベースボールキャンプin埼玉
2年ぶり4回目のNPO法人日本少年野球研究所主催のベースボールキャンプに参加して来ます。
今年はどんな出会いや経験が出来るんだろう。
南三陸町の子供たちも参加するかな。
今から楽しみです。
息子は体の使い方、基本動作や野球技術の習得に自分は指導者としての引き出しの整理や棚を増やしにそれぞれが目標を持って参加します。
講師
大川 章 (元ヤクルトスワローズ 投手)
佐藤 洋 (元読売巨人軍 捕・内野手)
駒田 徳広(元読売巨人軍 内・外野手)
森 博幸 (元西武ライオンズ 内・外野手)
講師の皆さんからたくさん学んで来ます。
報告の御期待を…
今年はどんな出会いや経験が出来るんだろう。
南三陸町の子供たちも参加するかな。
今から楽しみです。
息子は体の使い方、基本動作や野球技術の習得に自分は指導者としての引き出しの整理や棚を増やしにそれぞれが目標を持って参加します。
講師
大川 章 (元ヤクルトスワローズ 投手)
佐藤 洋 (元読売巨人軍 捕・内野手)
駒田 徳広(元読売巨人軍 内・外野手)
森 博幸 (元西武ライオンズ 内・外野手)
講師の皆さんからたくさん学んで来ます。
報告の御期待を…
2012年8月8日水曜日
登録:
投稿 (Atom)